カラーページや巻頭の仕事もたまに入り、忙しくなってきました。
昭和52〜53年頃です。
当時はアシスタントを使っていなかったので、プロットとネームのやり直しが続くと、しめ切りまでの時間がなくなり、睡眠時間2時間の日もありました。
コタツで原稿を描き、そのままコタツで横になり、起きあがってまた描く…といった不健康な日々を送っていました。
毎日マンガを描いて生活するのが夢だったのに、ちっとも幸福感がないのです。とほほ。。。
しかも自分の作品にも満足できずにいました。
この頃はシリアスが描きたかったのですが、編集担当者は「シリアスはダメ」と拒否。
人気が出るのは、主人公が明るく元気で前向きで、ハンサムな男の子が登場するラブコメだったのです。
私もそういう作品を描くことを求められました。
でも、当時は「明るく元気で前向き」なキャラクターを作るのはとってもしんどかったのです。
もうちょっと大人向けのマンガを描きたいとも思いましたが、昭和53年頃なので、今のようなレディースコミックは創刊されてなかったのです。
私はどんどん憂鬱になり、スランプになってしまいました。
初めてのスランプ突入〜〜

ウツ状態のようになり、なんにもやる気がしないし、もちろんマンガを描く気も起きません。
思い余って、担当者に「もう、マンガ家をやめたい…」と話しました。
すると、担当者は特にあわてて止めるわけでもなく「ん〜、もったいない気もするけどねぇ。。。」などと言っただけで、編集長は私の顔も見ずに「やる気のないヤツはほっとけ」と一言。
まだ20歳そこそこの女の子が、仕事で悩んでいるんだから、もうちょっとフォローをしてくれてもよさそうなものです。ぐすん。
その後、何がどうなったのか、まったく記憶から飛んでしまっているのですが、結局その後もその雑誌にマンガを描いているのです。
「Hなシーンを入れたほうがアンケートの数字もあがるから描いて」と言われた時は嫌で嫌で一人泣いたときがありました・・・
それから全然漫画を描く気もおこらなくなり、漫画が嫌いになって・・・
今は漫画やイラストを描くことが大好きです!
それはやっぱりJudyで描かせていただけるようになってからだと思います(*^_^*)
そうですか。。。
雑誌の欲求と自分の描きたいものが合わないと、なかなかつらいですよね。
アンケートのためだけに描くんじゃないですもんね(−−;)
私も出版社を変えJudyに移ってからは楽しくお仕事できました(^^)v
それを乗り越えて、何度も繰り返してより良い作品を生みだしていけたらいいな、といつも自分に鞭うってました(#^.^#)
あ、うちのHPに「アトリエあさの」さんのリンクを貼らせていただいてもよろしいでしょうか?
ではでは、失礼します(*^_^*)
好きなことを仕事にするのは幸せなことですが、反面つらいこともありますね。
後ほど、こちらからもリンクさせていただきます。