2009年01月04日

マンガ家裏話2 [高校時代]

高校のマン研に入った私は、先輩(現在は、漫画家ますむらひろしさんの奥様)に、マンガの描き方を教えていただき、初めて30ページほどの作品を仕上げることができました。
高校一年生の時だったと思います。

せっかく描けたのだからと、当時の「別冊少女フレンド」(講談社)のマンガ家デビューのための「BFマンガセミナー」に応募しました。

すると努力賞でした。

その上に佳作2席、佳作1席、そして新人賞があります。
新人賞をとるとデビューできます。

単純に意欲が湧いた私はすぐに次の作品を描きました。
すると佳作2席になりました。

「よし!次は佳作1席、その次は新人賞だ!」と思ったのですが…。

そう人生甘くなく、努力賞にまた落ちたり佳作1席に上がったり、また落ちたり上がったりしながら、新人賞を受賞するまで、高校3年間で7回応募を繰り返しました。
はたして、学校の勉強はやっていたのでしょうか?たらーっ(汗)

初めての応募は郵便で送ったのですが、「近いのだから来なさい」と編集部の担当者に言われ、東京まで行きました。
学校の帰り、制服のままです。

家は千葉県にあり、東京まで一人で行ったことがなかった私は、初めて編集部を訪れる時、怖くて怖くて、マン研の友人二人についてきてもらいました。
すると担当者に「次は一人で来なさい」と叱られ…あせあせ(飛び散る汗)次回からは一人で行きました。

担当者はいかにもキャリアガールといったカンジの女性で、当時の私にとっては威圧感たっぷりでした。
言われることはなんでも「はい」「はい」といって聞いていたような気がします。

注意を受けることばかりで、褒められた記憶はあまりありません。とほほ。

urabanasi1.jpg
posted by なずな・まま at 14:25| Comment(4) | TrackBack(0) | マンガ家裏話
この記事へのコメント
Judyでちょっとだけですがマンガを描かせてもらっていたさきさわいずみです。私もワンちゃんが大好きなので、でも家が集合住宅で飼えないので、いつも連載楽しくよまさせていただいてました。私は漫画家になって7年ほどなのですが、Judyが休刊になって本当にショックを受けて落ち込んでました。他社のお仕事もちょっとだけいただいたりしていたのですが、最近はそれもなくなり「漫画家、辞めなきゃいけないのかなあ、これからどうしよう・・・」と毎日悩んでいたところに、今日このホームページを見つけて、先生が講談社時代に感じたこととか、Judy休刊のことも前向きに考えられてるブログを読んで私もすごく元気を取り戻せました。今のお休みは、きっと意味のある大切な時間なんだ!と思いながら、頑張ります。ありがとうございました。
これからも毎日ブログのぞかせていただきます☆
Posted by さきさわいずみ at 2009年01月05日 11:53
へえ〜〜〜〜〜〜〜〜。
こんなふうに発展していくんだ〜〜。
へえ〜〜〜〜〜〜。おもろい。
Posted by うめ at 2009年01月05日 14:44
さきさわいずみさん

コメントありがとうございます♪

Judy休刊はホントにショックでしたよね。
私は漫画家生活33年の中で、スランプになって描けなくなることは何度もあったのですが、雑誌自体がなくなることは初めての体験です。
これも、派遣切り?(^^;)なんて考えてしまいます。

「漫画家やめて実家に帰ろうかな」なんて言ってる友人もいます。

私は、今回の失業のおかげで、自分が本当は何を求めていたのかがわかったような気がするんです。
なので、これから、そのビジョンを持って進もうと思っているのですが…

実は「怠けグセ」がついてしまって…(^^;)
「これじゃいかん」と思っているところへ、さきさわさんのコメントをいただき、元気がでました!

ありがとうございます!

これからもどしどしコメントしてくださいね!
Posted by なずな・まま at 2009年01月07日 11:41
うめさん

おもろい?
そりゃよかった(^^)

ネタがない時に進めていくよん♪
Posted by なずな・まま at 2009年01月07日 11:42
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