2009年01月10日

マンガ家裏話3[デビュー]

昭和49年の年末。
講談社の別冊少女フレンドの「BFマンガセミナー」に応募すること7回目で、新人賞をとることができ、デビューできた私です。

作品名は「すみれの指輪(リング)」。

その時のペンネームは「十和田純子」でした。

今のペンネーム「麻乃真純」に改名したのは、その後講談社の「Be-love」に作品を掲載するようになってからです。

デビュー作が載った雑誌は、昭和49年12月発売の「ラブリーフレンド」早春号。

デビューが決まった時、うれしくてうれしくて、マン研の友達に電話して、一緒にうれし泣きした記憶があります。

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表紙のイラストは大和和紀先生です。真ん中のモコモコした、「ケムケム」というキャラクターがラブリーフレンドのシンボルでした。

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庄司陽子先生、前原滋子先生、神奈幸子先生のお名前が見えます。


講談社の担当のTさんが言いました。
「これからが大変よ」。

私は、たぶん大変なんだろうなとは思っていましたが、なにがどう大変なのかは想像もつきませんでした。

あと3か月で高校生活が終わろうとしている時でした。
日本橋の商事会社に就職が決まっていた私は、マンガだけでたくさんの収入が得られる自信がなかったので、OLとマンガ家の二足ワラジで生きていこうと決心していました。

収入だけの問題でなく、マンガ家は家にこもってやる仕事。それより社会に出ていろいろと体験したかったのです。なので、昭和50年の4月から、私は、商事会社のOLとマンガ家と、二つの職業を持つことにしました。

デビューしてすぐに、マンガだけで食べていける人はごくわずかの人です。

今、思うと、二足ワラジの生活は正解だったと思います。

収入の面でもそうですが、人間的にも、家に一人で閉じこもってマンガばかりを描いている生活を続けるよりも、社会に出て友達を作って一緒に旅行したりランチしたり、恋をしたり失恋して泣いたり…そんな経験の方がよっぽど宝物だからです。

そして、これからマンガを描き続けていくためにも、社会勉強は必要だと思ったのです。
マンガのストーリーは自分の中から生み出さなくてはなりません。経験が貧困だとそれなりのアイデアしか出てこないだろうと考えたのです。

posted by なずな・まま at 20:40| Comment(2) | TrackBack(0) | マンガ家裏話